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第1号(2005年9月)資料探検隊 Vol.1

アロハシャツと日本人移民の歴史

 ハワイの代名詞ともいえるアロハシャツ。カラフルな色と柄、サラリと柔らかな肌触りの布地・・・。常夏ハワイならではのファッションとして、知らない人はいないでしょう。でも、そのアロハシャツの起源が、実は日本人移住者たちであるといわれていることは、あまり知られていないのでは・・・?
7月26日から8月14日まで、ヨコハマ・ハワイイ・フェスティバルの関連イベントとして資料館で開催した特別展示「アロハシャツと日本人移民の歴史」から、知られざるアロハシャツと日本人移民のつながりについて探検してみましょう!

アロハシャツの起源

 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、多くの日本人が夢を求めてハワイに移住しました。彼らのほとんどは、まだ貧しかった日本での暮らしから、新天地での夢を抱いて海を渡り、主にサトウキビ畑の労働者として働きました。
  当時、農園で働く労働者たちが着ていた作業着が「パラカ」と呼ばれる開襟シャツ。パラカは、もともとヨーロッパの船員たちが着ていた上着がその起源といわれていますが、青いチェック柄の木綿地で作られたそのシャツは、日本人にとってなじみの深い「絣(かすり)」に風合いがよく似ており、そのため、多くの日本人移住者もこのシャツを愛用していました。このパラカシャツが、現在のアロハシャツの原型になったといわれています。

いまやアメリカに次ぐ経済大国になった日本。そんな日本にも貧しい時代があったのね。
ハワイに移住した日本人の多くは、サトウキビ畑で過酷な労働に耐えて、少しずつハワイの地に根を張っていったのよ。
モルフィーちゃん

(左)アロハシャツの原型といわれる「パラカシャツ」。丈夫で柔らかい素材と絣に似た色合いは、日本人移住者たちにとって親しみやすいものだったという

(右)上日本昔話の「桃太郎」と「舌切り雀」をモチーフにしたデザイン。このシャツは1930年代後半、「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」というブランドのもの

それは「もったいない」の気持ちから生まれた

 日本人移住者たちは、日本から持参した着物をとても大事に着まわしてきました。そして、いよいよ擦り切れて着物としての用を足さなくなったとき、それをなお有効に活用するために、使える部分を子ども用のパラカ風シャツに仕立て直して子どもたちに着せていたといいます。
  「もったいない」の心から生まれたそのシャツは、着物独特の色や柄が現地の人々にとって新鮮でエキゾチック、とてもオシャレに映ったのでしょう。1900年代のはじめに、そうした着物地のシャツを見た現地の人々が、それを真似して市販の着物や浴衣の生地でシャツを作って着るようになったといいます。


贅沢になったいまの日本ではなかなか見られなくなってしまった習慣だけど、当時の日本人はこうやってリユース、リサイクルのエコ生活を当たり前にやっていたのね!
モルフィーちゃん
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発展するアロハシャツ

 1935年以降、アメリカ経済は大恐慌の不景気から徐々に回復していきます。それと同時に、アメリカ本土の人々が西海岸からハワイに観光で訪れる数が増えていきました。日系人だけでなく、現地ハワイアンたちの間でも親しまれるようになっていたアロハシャツですが、それを見た米国本土からの観光客たちは、ハワイを訪れた記念として買い求め、本土へ持ち帰るようになりました。そうやって、着物地のシャツはハワイ名物として徐々に広まっていき、現在の「アロハシャツ」のルーツとなったのです。
  当時の新聞には、アロハシャツを扱う店の広告が年々増え、ハワイを訪れたハリウッド俳優たちが誇らしげにアロハシャツを着ている写真などを見ることができます。こうしたアロハシャツ人気を支えていたのが、主に日系や中国系の人々が営む街の仕立屋たち。アロハシャツ発展の歴史の陰には、常に日系人の存在があったのでした。

アロハシャツといえば、トロピカルなハワイのモチーフを中心とした柄のシャツをイメージしていたけれど、もともとは和風の派手シブな絵柄が観光客の間でブームになって発展していったのね!
なんだか、ハワイがますます身近に感じてられきたわ〜♪

アロハと京の染色技術

 アロハシャツ・ブームの絶頂期は、第2次世界大戦後のおよそ15年間だといわれています。というのも、当時、衣料素材として発明されたレーヨンが綿や絹に変わって登場したことにより、アロハシャツのデザインにも大きな変革をもたらしたのです。
  当時、敗戦国である日本からは、着物の染色技術を使った繊細な柄が数多く海外へ輸出されています。特に、戦災を逃れた京都の染色業は、戦後の繊維製品の輸出を支えていました。京都には、着物だけでなく布団地や風呂敷などを作る友禅業者が数多く存在し、これらの業者が高品質な製品を数多く作って輸出したことが、アロハシャツ発展の大きな要因になったのです。


もっと知りたい!アロハの魅力

豆知識 伝説の仕立屋、「ムサシヤ」

 アロハシャツの歴史を語るうえで、必ず登場する仕立屋が「ムサシヤ」です。1904年に、最初の官約移民のひとりである東京出身の移住者、宮本長太郎氏によって創業されたアロハシャツ・メーカーで、日本の反物を使ってシャツを作る店として人気を博していました。
  その後、1915年に創業者の長太郎氏が他界すると、日本で暮らしていた長男の孝一郎氏がハワイに帰国して店を継ぎ、店名を『ムサシヤ・ショーテン』(日本語名は武蔵屋呉服店)と改めます。 父の後を継いだ孝一郎氏は、大々的な新聞広告によって着物地のシャツを広めることに成功し、当時、ホノルルで最も有名なシャツ店となりました。
  ムサシヤ・ショーテンのアロハは、今日でも「ヴィンテージ・アロハ」としてマニアの間で大変な人気です。

 
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