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HOME > 海外移住資料館だより > 第5号 資料探検隊 Vol.5
第5号(2006年9月)資料探検隊 Vol.5
モルフィーちゃん
南米に住む青い蝶の妖精、モルフィーちゃん。 海外移住資料館のあれこれを、みなさんと一緒にお勉強します。 どうぞよろしくね!!

パラグアイ農業に日系人の姿あり!
  〜パラグアイの食卓を豊かにした〜

野菜市場の屋台
野菜市場の屋台(常設展示より)
北米、南米に渡った日本人の多くは農業移民だった。日本人の野菜作りの技術は世界各地で高い評価を受け、特に南米のブラジルやパラグアイでは、日本人移住者が持ち込んだ野菜のおかげで現地の人々の食生活が改善されたとして、とても感謝されている。

南米へ移住した日本人の多くは、農業移住者でした。狭い日本を離れ、広大で肥沃(ひよく)な大地を目指して、夢と希望を抱えて多くの日本人が南米へと旅立っていったのです。今号では、今年日本人移住70周年を迎えたパラグアイの日系人たちによる、農業分野での活躍の歴史を、日本人移住者がはじめて入植したラ・コルメナ移住地を中心にたどってみましょう。


日本人移住の第一歩は 「ラ・コルメナ移住地」から

 南米大陸の中央に位置し、「南米のへそ」と称されるパラグアイ共和国。パラグアイへの日本人移住は、1936年に開始されました。戦前の移住者たちが最初に入植したのは、ラ・コルメナという移住地。どこまでも広大な赤土の平原が続くパラグアイですが、山や小川などの起伏に飛んだ地形に恵まれたラ・コルメナ移住地は、日本の農村風景にも似た美しい土地です。移住者たちが「コルメナ富士」と呼んで親しんでいる山もあるほどで、故郷を遠く離れて暮らす移住者たちの心の支えになってきたといいます。
 入植した移住者たちは、一丸となって森を切り開き、山焼きをし、自分たちの手で家を建て、自給自足の生活を始めました。そして、少しずつ収入を得るための作物を作り始めるのです。バッタの大群の襲来や気候風土の違いなど、開拓生活の苦労は想像を絶するものがありましたが、互いに助け合い、協力しあい、まじめに働く日本人移住者たちの姿は、現地の人々に好意を持って受け入れられていきました。

住宅建設 綿畑
入植した移住者たちは、協力し合って自分たちの家を建てた。 遠くに移住者たちが「コルメナ富士」と呼んで親しんでいる山が見える
(写真提供:ラ・コルメナ農業協同組合)
  移住初期には、輸出作物として綿花が大量に生産されていた
(写真提供:ラ・コルメナ移住地 堀田益巳氏)

モルフィーちゃん
第2次世界大戦がはじまると、日本とパラグアイは敵どうしになってしまうの。でも、そんな時代にも誰ひとりとして個人的な財産や土地を奪われることはなかったんですって。日本人移住者たちの勤勉で誠実な生活ぶりと、差別意識のない温和なパラグアイ人との特性が、きっとうまく重なりあったのね。
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パラグアイの食生活を 日本人移住者が変えた!

スーパーの野菜
白菜、大根、レタスなど豊富な種類の野菜がスーパーに並ぶのも日系人のおかげ

 日本人がはじめてラ・コルメナ移住地へ入植した当時、パラグアイで野菜作りをしている農家はほとんどいなかったといいます。大地主を除いた大半の農民は、マンジョカ芋や豆類などを自給自足程度で作っていたにすぎず、野菜類はほとんどありませんでした。
 肉食中心のパラグアイ人と違い、魚や野菜を主に食べてきた日本人移住者は当初、森の中を歩き、食べられそうな野草やキノコを探して食べていたといいます。輸出作物として綿花を大規模に生産しながら、かたわらで自分たちが食べるための野菜を作りはじめた日本人は、やがてパラグアイの市場にも少しずつ野菜を紹介するようになります。しかし当時、キュウリやピーマン、キャベツなど、日本人の作る野菜は、パラグアイ人にとってはじめて目にするものばかり。せっかく収穫しても、買い手がないために売れ残ってしまうこともしばしばあったといいます。そこで移住者たちは、収穫した野菜を現地の人々に無料で配り、食べ方や調理法を紹介し、少しずつ普及していきました。
 現在、パラグアイの野菜市場やスーパーには豊富な種類の野菜や果物が並び、「日本人移住者がパラグアイの食卓を豊かにした」「食生活だけでなく、体質も改善された」として、日系人たちはとても感謝され、尊敬されているのです。


 サラダとして生で食べられるトマトをパラグアイに持ち込み、品種改良を行ったのも日本人移住者なんですって。そのほかにも、ブドウやミカンなど、ラ・コルメナ移住地では豊富な種類の果物が生産されていて、『果物の都』としてパラグアイでは全国的に有名なのよ!
モルフィーちゃん

大豆の輸出大国へ

スーパーの野菜
日系農家の生産する小麦粉。 商品名はズバリ「NIKKEI」 ※現在開催中の特別展示  「パラグアイ展」にて実物を展示中!(※特別展示は終了しました)

 綿花にはじまり、野菜や果物など、ラ・コルメナ移住地での功績が評価されたことにより、パラグアイには戦後も、チャベス、アマンバイ、フラム(現ラパス)、アルトパラナ(現ピラポ)、イグアスと、次々に新しい日本人移住地ができ、たくさんの後続移住者が入植しました。
 1980年代からは大豆や小麦の大規模機械化農業が中心となり、大豆の国際市場への輸出の道を開いたものまた、日本人移住者たちでした。イグアス移住地の日本人がパラグアイではじめた大豆の不耕起栽培(ふこうきさいばい)はその後、パラグアイ全土にまで広まり、パラグアイは世界第4位の大豆輸出国へと成長します。パラグアイの農業分野において、日系人は大変重要で欠かせない存在となっているのです。


赤土の大地 不耕起栽培記念碑
赤土の大地と大豆畑
(写真提供:メルコスール観光局)
  不耕起栽培発祥の地であるイグアス移住地には、日本人移住者の功績をたたえた記念碑がある

モルフィーちゃん
不耕起栽培(ふこうきさいばい)というのは、収穫が終わった畑を耕さずにそのまま種をまく方法なの。大雨によって大地の養分が流出してしまうのを防ぎ、労力の大幅な削減にもつながるこの栽培方法は、海外からも注目されているのよ。
 
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