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夢を求めて、南米へ
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| 各都道府県からの移住者数を表した日本地図(常設展示より) |
海外移住資料館の入り口を入ってすぐ、右に曲がると、壁に大きな日本地図のオブジェが展示してあります。どの都道府県からどのくらいの数の移住者が送り出されたのかを表すグラフになっているこの地図を見ると、沖縄県から海外へ移住した人の数がとても多いことに気づくでしょう。
琉球王朝の時代から、海を通じて海外との深いつながりを持っていた沖縄の人々にとって、もともと海外への移住は親しみやすいものだったのかもしれません。戦前、ボリビアへの移住が始まるよりも前にペルーに移住した人のなかに、アマゾン地域の天然ゴム景気で一山あてようとペルーからアンデス山脈を越えてボリビアに移り住んできた「ペルー下り」と呼ばれる人々がいましたが、第2次世界大戦後の貧しく苦しかった時代、沖縄県出身の「ペルー下り」の人たちが、厳しい状況にある故郷の人々を救おうと呼びかけたことにはじまり、当時の琉球政府によってボリビアに集団移住地がつくられると、1950年代から60年代にかけて、大勢の人が沖縄からボリビアへと移住しました。
気候風土の違いや厳しい開拓生活のなかで、原因不明の熱病により15人もの犠牲者を出した「うるま病」や、度重なる水害などにより、移住地を転々としなければならなかった辛く厳しい時代を経て、いま、コロニア・オキナワは、ボリビア屈指の穀倉地帯として発展を遂げました。ボリビアの農業をリードし、流通ルートを切り開いて経済を活性化させるなど、ボリビアにとって、なくてはならない存在となっているのです。
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| 1954年、沖縄を統治していた
アメリカ民政府によって発行された
移住者のパスポート。オキナワ移住地が
日本政府に移管されたのは1960年で、
それ以前は、沖縄県民は日本国民として
ではなく、「琉球居住者」として海外渡航
しなければならなかった。(オキナワボリビア歴史資料館ネットワーク展示より) |
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入植初期(1957年頃)のオキナワ移住地中心部
(オキナワボリビア歴史資料館ネットワーク展示より) |
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現在のオキナワ移住地の様子 |
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